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日志


2007/2/27

もろともに~(古典108)

百人一首66番
 
もろともに あはれと思へ 山桜
       花よりほかに 知る人もなし 
              大僧正 行尊
 
私は俗世を捨て、山奥で精進している。
美しく咲く山桜よ。
わたしを知っているのはお前だけだ。
また、お前を愛でるのも私だけ・・・。
お互いにあわれと思っておくれ・・・。
 
あはれ・・・・懐かしい、美しい、親しみ深い、など。
もろともに・・・お互いに、ちょっと共犯者、共同体っぽいニュアンスもあります。
 
 
この行尊は、三条帝の皇子、敦明親王の孫です。
本来ならこの歌を紹介する頃には
「大鏡」の記事でこのあたりまで歴史が進むはずでしたが。。。?
 
 
要するに三条帝、小一条院(敦明親王)は
道長さんとの権力争いに敗れた人です。
そのお孫さん、行尊さんは世が世なら帝という尊い血筋ですが、
今は大峰山にこもって修行の日々。
 
美しく咲く山桜を見て、ふと詠んだ歌でしょう。
 
以前にも書いたことがあるのですが
 
誰も見ることのない場所に咲く山桜。
手を抜かずに美しく咲くことが美しい。
 
俗世を捨てた人の精神は清らかで美しい。
美しいと意識していないから美しい。
 
そこに媚や驕りが出た瞬間に、美しさは消えうせる。
でも、「暗い場所で鏡に映った自分を見てはっとする」
程度の、ちょっとした自惚れなら美しさは損なわれない。
 
山桜を見て、捨てたはずの俗世をふっと思いだした
その瞬間を詠んだ歌なんだと感じました。
 
うたかたに 壊れと思え こまちちゃん
          われより他に 知る人もなし
 
 
りかさんに「思ったほど壊れなかったな」と言われましたが
壊れている間は記事を書かなかっただけ。
本当に壊れているときのことは誰も知らないのよ。
ま、もともと壊れているんだから「壊れ宣言」したところで
変わんないのよね。
 
 
 
 
2006/7/14

平安《大鏡》ワイドショー19(古典100)

カテゴリは百人一首。
古典の記事が100回突破だというのに、
なんとも地味なこと。
忙しくて、本当に手が回らない状態。
 
大鏡は思い入れがあって
大事に記事を書きたいカテゴリです。
でも最近は本当に時間も体力もないのよ。
落ち着いてから、じっくり時間をとって温めて
完成させようと思っています。
第1回の記事のように、キャラをいじりながら
自分らしく表現したいけど、今の私の状況じゃ無理。
だから、もっと時間をちょうだいね。
 
でも世の中みんな忙しそうよね。
リンクの多くの方々が、記事を放置気味。
 
でも、途中で投げ出さないから安心してね。
一番書きたいシーンは、
小一条院、敦明親王の東宮位退位。
その辺までは書くからね。出来れば年内に。
 
 
 
 
百人一首59番
 
やすらはで 寝なましものを 小夜ふけて
  かたぶくまでの 月を見しかな
 
                      赤染衛門
 
 
あなたが来るかも、と期待してずっと寝ずに待っていたのよ。
月が西に傾くのを見ながら。
来ないと分かっていれば、ためらわずにさっさと寝たのに。
 
滅多に来ない、つれない夫に可愛くすねた歌です。
 
対照的な女性ですね。
男をひきつける作戦としてはこっちが正解?
 
赤染衛門は、本編ではまだ登場していない
中宮彰子の女房(女官)です。
紫式部、和泉式部の同僚になります。
この時代のキャリアウーマンは
才女、賢女が目白押し。
 
赤染衛門は「栄花物語」の作者、
または複数いる作者のうちの1人らしいです。
 
「しのぶれど~」の平兼盛の娘らしいです。
夫は大江匡衡(おおえのまさひら)
 
この歌は、妹の代作です。
妹の夫、この歌の受取人は
藤原道隆、(兼家の長男)
前回の貴子さんの夫です。
道隆さんは、貴子さんが最愛の妻ですが、
やっぱ父親譲りの女好き!
困ったもんだ。
 
ちなみに、最近の私はオットを待たずに
さっさと寝るくらい疲れています。
ゴメン。オットよ。
とんでもない失敗を1度ならず、
2度もしでかしてるので
起こしにもこないし。
 
最後に赤染衛門(あかぞめえん)という女性は
和泉式部のような情熱もないし、
蜻蛉日記作者のような才気もないし、
紫式部のような物語を作る才能もないし、
清少納言のような鋭い感性もありません。
ですから、ちょっと地味な印象があると思います。
でもしっとりした情緒ある歌を詠みますし、
妻として、母として幸せな人生を送ったようです。
 
学者家系で、紛れもない才女ということは
間違いありません。
 
 
2006/6/28

平安《大鏡》ワイドショー18(古典99)

百人一首54番

 

わすれじの 行末までは かたければ
      今日をかぎりの 命ともがな

                     儀同三司の母
あなたが永遠の愛を誓ってくれた
この瞬間、この恋の絶頂のときに
消えてしまいたい。

「~もがな」は「~したい」という強い望みです。
和泉式部の「あらざらむ~」の歌にも

使われている文法です。

今日をかぎりの命と~
この恋の絶頂の瞬間に、死んでしまいたい。
恋人の心がいつ離れるのか・・・・。
この気持ちすごく分かります。
ここのところ、この歌がずっと頭から離れません。
って言ったらオノロケになるのかしら?

作者は高階貴子
道隆さんの奥さんです。
定子、原子、伊周、隆家の母です。
儀同三司とは太政、左、右の三大臣と
地位が同じという意味です。
伊周は失脚してるので、自称「儀同三司」ですが、
選者の定家はこの呼び名を採用しいました。
道隆ファミリーは栄華から一転、
没落してしまいますが、
貴子への夫の愛は死ぬまで続きました。
夫の愛情という面では非常に幸せな人生だったでしょう。

 

私はこの歌、大好き。

2006/1/30

百人一首 53番(古典74)

なげきつつ ひとりぬる(寝る)夜の 明くるまは
       いかに久しき ものとかは知る  
                       右大将道綱の母
 
「蜻蛉日記」の中に書かれている嘆きが生んだ名歌です。
 
久しぶりに訪れた夫・兼家さんが門を叩いても
作者はすねて頑なに門を開けませんでした。
 
当時の結婚の形態は妻問婚なので、
たまにしか来ない、つれない男とは
こういうふうに女性から縁を切ることもできます。
源氏物語の「ほととぎすの女」は、気まぐれに訪れた源氏に対し
「お人違いじゃございませんか?」と言って拒絶しました。
 
多くの女は、たまに訪れた男を喜んで迎え入れ
やんわりと、または本音で恨み言を言ったりします。
 
蜻蛉日記の作者は、兼家があきらめて帰った翌朝に
しおれた菊に文を結んでこの歌を届けました。
 
あなたが来ない淋しい夜はどれほど長いかご存知かしら?
 
なんだか女の陰湿な駆け引きのような気がしますよね。
かなわんなぁ、ってのが私の本音です。
さすが時の権力者・兼家さんは器が違います。
この歌の返歌にはかなりの余裕を感じます。
 
げにやげに 冬の夜ならぬ 真木の戸も
       遅くあくるは わびしかりけり
 
いやいや、なかなか門を開けてもらえないのも
つらいものですよ
 
こういうおちょくったところもプライドの高い作者を
「キィ~」ってならせるのかもしれませんよね。
 
蜻蛉日記とは↑のようなやり取りの繰り返しです。
真剣に感情移入して読むと疲れます・・・。
 
***
今年のバーゲンでシビラのワンピースを購入しました。
93800円の50%オフ。
布切れ1枚で10万円近いなんて理解できない人もいるでしょうけど、
シビラの切り替えの曲線の美しさは芸術の域に達しています。
 
2005/11/11

恋歌バトル(古典60)

平安王朝の雅な遊びに「歌あわせ」というのがあります。
右方、左方に分かれて、お題に沿った歌を詠み合います。
歌の出来の優劣で勝敗を決める、あくまで「遊び」です。
 
村上天皇の御世で判定が困難な勝負がありました。
お題は「恋」です。
 
百人一首40番
 
忍ぶれど 色にいでにけり わが恋は
               ものや思ふと 人の問ふまで 平兼盛  
 
完璧に隠していたつもりの想いだけど、
自ずと態度や表情にでるものなんだね。
「きみは恋をしてるんじゃない?」と人に言われたよ。
 
切なく美しく見事な歌です。
右方の勝利、決定か?
いやいや、左方の歌も聞いてみましょうよ。
 
百人一首41番
 
恋すてふ(こいすちょう) わが名はまだき 立ちにけり
     人しれずこそ 思ひそめしか 壬生忠見(みぶのただみ)
 
まだ、密かにかの人を想いはじめたばかりなのに、
世間には、この恋心が知れ渡ってしまったよ。
あなたにだけ打ち明けたかったのに・・・・。
 
こちらも負けず劣らず素晴らしい歌です。
どちらの歌も「秘めていても恋心は表にでてしまう」
ということを詠んでいます。
 
判定は困難をきわめました。
「引き分け」かと思われましたが、
天皇は兼盛の歌をくちずさんでいたことから
右方の勝ちとなりました。
 
勝利を確信していた忠見は、
負けたショックで寝付いてしまい亡くなりました。
 
しかし、本当に素晴らしい歌なので
両方とも百人一首に選ばれています。 
 
人を恋する気持ちに勝敗はつけられませんよね。  
 
2005/11/9

神々の時代の紅葉(古典59)

百人一首17番
 
ちはやぶる 神代(かみよ)もきかず 竜田川 
        からくれないに 水くくるとは 
             在原業平朝臣(ありわらのなりひらあそん)
 
神々が地上世界にいた時代の竜田川の美しい紅葉は
川面一面に絞り染めを広げたようだ
 
ちはやぶる は  にかかる枕詞です。
神々しさを演出するために、多くの歌で使われています。
神々は地上に住み、人間に近い存在だったと
考えられていた時代があります。
「古事記」では神話と正史の境界が曖昧です。
 
作者の在原業平は平城帝の皇子です。
臣籍に降って、在原姓を名乗りました。
伊勢物語の主人公で、光源氏のモデルとも言われています。
非常に美男で天才的な歌人です。
まだ記事が少ないのですが、もっと取り上げたい文学です。
 
竜田川とは生駒山地から大和川に合流する、紅葉の名所です。
 
紅葉は通常、「錦」と表現されますが
この歌では「くくる」(括る・しぼり染め)と形容されています。
常識に縛られず、独自の発想のある方なんですよね。
 
竜田川の水面に散る紅葉は、しぼり染めの紅絹のように美しい
 
という意味の歌ですね。
 
ちょっと難しい歌のように聞こえますが、
何度も声に出して読むと意味が分ってきます。
神々しいまでに美しい紅葉が目に浮かびますね。
 
イメージとしては、水面に映る紅葉ではなく、
水面に「散る紅葉」だと思っていました。
一旦アップしてから、解説には「映る」と
書いてあるのをみつけ変更しました。
 
結果、両方の説があるということが分りました。
結局戻したり、画像も復活させたり・・・。
 
よく分らないことになってきましたが、
この歌が美しいことに変わりはありません。
古典って奥深いですね。
 
 
 
2005/10/11

百人一首68番(古典50回突破!)

心にも あらでうき世に ながらへば 
      恋しかるべき 夜半(よは)の月かな
                      <三条院>
 
前回の記事では、若い恋人たちを引き裂いた
非道な権力者のイメージでしたが、三条院もまた
権力争いに敗れた悲劇の帝王なのです。
 
三条帝の御世の東宮(皇太子、次期天皇)は
道長の孫・敦成(あつひら)親王(一条帝と彰子の皇子)
早く孫を即位させたい道長さんが、
圧力をかけたかどうかは分りませんが、
三条帝の在位はわずか6年です。
(したがって当子内親王の斎宮在位は6年)
たったの6年の間に、内裏の火災は2回。多すぎます。
三条帝もで目を患ってしまいます。
 
下の記事のコメントで天のがわさんの仰るように
「天狗の仕業」という説もあります。
魑魅魍魎が跋扈したという時代(陰陽師みたいやね)
このような災いは「帝の徳が足りない」という世論が広がります。
今の時代より、世論や噂に重みがありました。
 
「放火?」「毒薬?」というひそひそ話が聞こえてきます。
証拠がありません。滅多なことは言わないでください。
道長さんに逆らうと、この世では生きていけませんよ。
 
このような圧迫の中で詠まれた歌です。
 
こころならずも、憂き世に生きながらえてしまえば、
後々、今夜の美しい月(私の御世)を
思い出すことだろうなぁ。
 
とてもつらい思いをされているようです。
 
三条帝の退位後、即位したのは後一条帝(敦成親王・9歳
もちろん摂政は道長さんです。
東宮は三条院の皇子・敦明(あつあきら)親王。23歳。
生母は、済時の娘・娍子(セイシ)
 
次期帝の敦明親王も道長の圧迫に耐えられず、
生命の危険を感じて、東宮位を辞退してしまいます。
小一条院という院号を賜り、道長の娘婿になり
身の安全と生活の保障を貰います。
 
次の東宮は後一条の弟・敦良(あつなが)親王です。
道長の孫です。(後の後朱雀天皇)
 
三条院も済時さんも不運な方ですよね。
 
この辺りのことは「大鏡」という歴史書に書かれています。
分りやすい現代語訳もあります。
とっても面白いのでぜひ読んでください。
いつか「大鏡」も取り上げる予定です。
 
三条院とは対照的な道長さんの歌です。
 
この世をば わが世とぞ思ふ 望月の
      欠けたることも なしと思へば
 
解説不要ですね。
かなりご満足のようです。
2005/10/10

百人一首63番 (古典49)

今はただ 思ひ絶えなむ とばかりを
   人づてならで いふよしもがな <左京大夫道雅>
 
今の願いは「君への思いを断ち切ろう」ということを、
人づてではなく直接君に伝えたいだけ・・・。
でも、もう、それすらも許されないんだね・・・・・。
 
道雅は、一条帝の皇后・定子(清少納言の主)の
兄・伊周(これちか)の息子です。
伊周は、道長との権力争いに破れ、失脚してしまいました。
道雅の未来は閉ざされています。
 
この歌の恋の相手は、三条帝(一条帝の従兄)の姫
当子(とうし)内親王
当子は三条帝の御世に、伊勢の斎宮に任じられていました。
(10歳くらいから16歳までの任期と考えられる)
 
(斎宮については何度も書いていますが、
伊勢神宮に仕える未婚の皇女のことです。
任期は天皇の御世1代)
 
父帝の退位によって、京へ戻り、道雅と恋に落ちました。
前斎宮で内親王という高すぎる身分の女性は、
並の身分の男とは結婚できません。
まして、道雅は父の失脚により、出世の見込みはありません。
 
源氏物語の斎宮・六条の姫は冷泉帝の中宮になりました。
 
当子内親王の父・三条院(すでに退位)によって
2人は引き裂かれてしまいます。
直接逢うことはあろか、文すらも交わせません。
禁じられた恋は、激しい名歌を生みました。 
 
         
 
当子内親王は17歳の若さで出家して、尼になりました。
悲観にくれて、若くして亡くなります。
道雅はグレて不良になりました。
 
次回の歌は三条院です。
この方はこの方で、苦労しているんですよ。
悪者と思わないでね。
 
天のがわさんが「一番好き」と言ったお歌です。
 
 
2005/10/7

百人一首51番(古典48)

かくとだに えやはいぶきの さしも草 
   さしも知らじな 燃ゆる思ひを 〈藤原実方朝臣〉
 
実方(さねかた)さんは平安時代を代表する歌人
非常に美男で優雅な方です。
藤原済時の養子格です。あまりパッとしない人の養子なので
この人の身分もパッとしません。でも美男です。
済時さんはについては、機会があれば「大鏡」の
記事でお話したいと思っています。 
 
実方さんは、一時期清少納言の恋人だったと言われています。
この歌は清少納言に贈ったものではありません。
 
この歌は、縁語や掛詞や
高度な技法を駆使しまくっています。
こういう歌の解説になると「てきとー」になってしまいます。
だって文法は分んないんだもん。
小野小町の「花の色は~」と同じですね。
 
伊吹山 は もぐさの名産地(お灸)
いぶき は 言う にかけている。
 
さしも草→もぐさ→くすぶる熱い
  ↓         ↓
さしも知らじな  燃ゆる思い
 
複雑に絡み合っています。
 
要するに言いたいことは↓です。 
 
男って滅多に「愛してる」なんて言わないものなんだよ。
だけど、君には「愛してる」って言いたくて仕方がない。
(でも男だから言えない)
くすぶって燃えている想いを抱えていることなんか
君は知らないんだろうなぁ。
 
美男にこんな切ない恋の歌を貰ったら
私はクラクラになってしまいますよ~。
 
 
2005/10/6

百人一首62番(古典47)

よをこめて 鳥のそら音は はかるとも

    よに逢坂の 関はゆるさじ〈清少納言〉

 

枕草子にも書かれている有名なエピソードです。

頭の弁・行成卿からの手紙のお返事です。

頭の弁・蔵人の頭=帝の秘書長官。将来出世するエリートさん。

行成(ゆきなり)さんとは名筆・能筆で有名なあの行成さんです。

清少納言ととっても仲良しですが、男女の関係ではなさそうです。

このタイプの女性は、「男女間の友情」を成り立たせることができます。

 

2人で世間話をして、夜明けに行成さんが帰っていきました。

その後、文が届きました。内容は・・・

「鶏の声に急かされて帰りましたが、もっと話したかったんですよ。

逢坂の関がどうたらこうたら・・・」という内容です。

 

逢坂の関(関所)とは男女の一線を越える例え。

この時代の歌では好まれる表現です。

鶏の声とは、史記にあるエピソードの引用です。

 

秦から逃れる孟賞君(もうしょうくん)は

鶏の声が聞こえないと開かない函谷関の関所を

鶏の鳴真似で騙して開けさせた。

 

行成さんは清少納言を本気で口説いたのではなく、

礼儀としてこのような色っぽいことを書いています。

また、史記の引用も貴女なら理解できるでしょ?

という遊びですね。

 

それに対するお返事がこの歌です。

 

鶏の鳴真似をしたって、私の関所は開きませんよ

 

という軽い内容です。

史記からの引用もきちんと踏まえています。

行成さんはコレに対して

 

逢坂は 人越えやすき 関なれば

    鶏鳴かぬにも あけて待つとか

 

そのまんまの意味ですね、失礼しちゃう!

誠実で真面目な行成さんに、こういう軽口をきかせてしまう

清少納言は気さくな女性なんですね。

 

このエピソードは何重にも「われぼめ」の要素があります。

・行成さんから、こんなうちとけた文をもらう仲だということ。

・史記の引用を理解できる女性だと扱われたこと

・その謎掛けを見事に解いたこと

などなどですね。

 

清少納言についてはコチラ
2005/9/29

百人一首42番(古典43)

契りきな かたみに袖を しぼりつつ
      末の松山 浪越さじとは<清原元輔>
 
末の松山 とは 陸奥の歌枕です。
松を波が越す とは 
男と女が心変わりしないと約束することのたとえです。
この時代では、とても人気のあった表現です。
 
覚えているだろう?
互いに(涙でぬれた)袖を絞りながら約束したことを。
けっして心変わりしないってね。
 
早い話、心変わりして自分から離れてしまった女性への
恨みつらみの歌ですね。ちょっと、みみっちかも。
 
清原元輔(きよはらのもとすけ)さんは、清少納言の父です。
↓の深養父さんの孫です。
 
あまりパッとしない中流貴族の地方長官です。
明るくてひょうきんで楽しい人です。
その気質は、娘へとしっかりと受け継がれています。
 
この歌は私個人的にはさほど好きではありませんが、
歌枕や技巧を駆使した歌って文学的に評価が高いんです。
 
このタイプの歌人は、他に紫式部、赤染衛門などがいます。
個人的な好みを言えば、技巧もあまりない
和泉式部のように、魂を揺さぶる歌の方が好きですね。
 
 
 

百人一首36番(古典42)

夏の夜は まだ宵ながら 明けぬるを
      雲のいずこに 月宿るらむ<清原深養父>
 
夏の夜は短い。
宵のうちだと思っていたら、もうお日さんが出てきたよ。
お月さんは慌てて雲のどこかに隠れちゃったかな?
 
清原深養父(きよはらのふかやぶ)は、
皆様ご存知の清少納言の曽祖父です。
 
とってもとっても有名な歌人です。
テクニックも知識も十分にある人が、
余裕の遊び心で詠んだ歌です。
このまま絵本でも作れそうですよね。
とても楽しげでユーモアたっぷりの歌です。
2005/9/13

百人一首2番(古典36)

この記事って・・・
35番と一緒に夏用に用意していたんだけど、
放置していました。
いまさらですが、とりあえず手直しして。
有名な歌なのでご存知かと思います。
 
春すぎて 夏来にけらし 白妙の 
     衣干すてふ(ちょう) 天の香具山 〈持統天皇〉
 
春がすぎ夏になり、香具山に干される白い衣が
夏山に映えて清々しい。
 
というような内容です。
 
初夏の午後 洗濯物が まぶしいな  〈byこまち〉
というのと同じような内容ですが、女帝ともなると、
神々しいニュアンスが加わります。
 
香具山は巫女が禊をする場所だった、
という説があるので神聖で美しいですね。
 
万葉集に載っている本来の歌はこうでした。
 
春すぎて 夏来(きた)るらし 白妙の 
      衣ほしたり 天の香具山  
 
「ますらおぶり」で力強く分りやすいですね。
新古今和歌集に選ばれたときに、ちょっと変更されたようです。
この時代の好みは、優美な響きでしたからね。
 
好みで有名人の歌も、ちょっと変えちゃうなんて大胆ですよね。
 
 
2005/6/20

百人一首89番(古典 其の20)

玉の緒よ 絶えなば絶えね ながらへば

        忍ぶることの 弱りもぞする  

              式子内親王 (しきしないしんのう)

私の命よ。絶えるのなら、いっそ絶えるがいい。

生きながらえれば、この恋を隠しとおす力が弱まるだろうから ・・・・

 

後白河院の皇女で前斎院(さきのさいいいん) です。

       賀茂の斎院・・・賀茂神社に使える未婚の皇女

                (源氏物語では朝顔宮)

       伊勢の斎宮・・・伊勢神宮に使える未婚の皇女

                (源氏物語では六条御息所の姫)

内親王は生涯独身で通すことが慣わしの時代でした。

内親王の生母の身分が低かったりして、身分がつりあえば

降嫁することもありましたが、斎院にも立たれたことのある

式子内親王には身分のつりあうような公達はいません。

臣下と浮名をながすなどもってのほかです。

1000年経った自由な現代の、紀宮さまのご婚約の大変さからも

当時の不自由さは想像に難くありません。

 

式子内親王さまは忍ぶ苦しい恋をしていたんじゃないかな?

当時は技巧として「忍ぶ恋」の歌を詠んでいましたが、

恋を知らずにこんなにも切迫した切ない歌を詠めるものでしょうか?

この方のお歌はどれも「この恋がバレたら身の破滅だ」

といった調子のものが多いのです。

内親王さまの秘めたる恋・・・素敵ですね。
2005/6/17

百人一首77番(古典 19)

瀬をはやみ いわにせかるる 滝川の

       別れても末に あわむとぞ思ふ

                                    崇徳院(すとくいん)

瀬の流れが速いので、岩にせき止められ 滝川が2つに別れます。

あなたと引き離されても、この流れのように 将来は必ず再会しましょうね。

 

色々な意味で有名な歌です。

まず作者の崇徳院は後白河天皇の兄宮です。

前回取り上げた大賢門院と鳥羽天皇(本当は白河院)の皇子です。  

鳥羽帝に疎まれ、権力争いに敗れ、讃岐(香川県)に流されます。

無念のうちに亡くなり、都では飢饉や大火事が起こります。

激しい気性の方だったので。「たたり」だと恐れられていました。

お歌も激しいですよね。

 

百人一首で上の句が「せ」から始まるのはこの歌だけです。

したがって最初の「せ」を聞いた瞬間に取り札の

われてもすえに あわむとぞおもふ」を取ることができます。

 

上方落語にはこの歌を題材にした話があります。

 

20年ほど前のドラマ にも取り入れられています。(落語のパロディ)

「アニエスの乙女たち」(原作漫画・里中満知子)にも

引き裂かれる恋人にこの札をを渡すシーンがあります。

このドラマはね、長くてダラダラしていい加減イヤになってきましたが、

このシーンは印象に残っています。 感動したとかじゃなくて、

「カルタの1枚だけ渡したらお正月に困るんじゃないのか?」

というふうにです。

 

私にとってこの歌は色んな意味で印象に残っています。

崇徳院の生い立ちについてはコチラ
2005/6/7

百人一首56番 (古典 其の16)

あらざらむ この世のほかの 思ひ出に

             いまひとたび 逢ふこともがな

                                               和泉式部  

1度読むだけでは意味が分かりませんが、

何度も繰り返し読んでいるとなんとなく分かってきます。

それがこの和歌の素晴らしいところです。

和泉式部は和泉守(いずみのかみ・大阪南部の長官)の奥さんです。

為尊(ためたか)親王と道ならぬ恋に落ちて夫に離縁されています。

親王と死に別れ、その弟宮の敦道親王 とも恋に落ちます。

その親王とも死に別れ、 「和泉式部日記」 を書き記しています。

非常に奔放な恋をして、情熱的な歌をたくさん残しています。  

彼女の歌には魂をしめつけられるような切なさと激しさがあります。

「あらざらむ」 とは「在らざらむ」、「在る」を打ち消しています。

「この世のほか」とは「あの世」ですよね。

「あふこともがな」とは「逢いたい」の強調です。

私の病は重く、命尽きようとしています。

あの世への思い出に、せめて一目お目にかかりたいです。

掛詞や枕詞などの技巧はなく、非常に分かりやすい歌です。

ストレートなだけにモロに感情が揺さぶられるのは私だけではないはずです。

 

和泉式部について↓

 

和泉式部についてはコチラ
2005/6/2

百人一首 72番(古典 その15)

本来なら、1番の天智天皇から紹介していくべきところですが、

私の気の向くままに書かせていただきます。

やや地元びいきが入ります。

音に聞く 高師浜の あだ波は

    かけじや袖の 濡れもこそすれ

    祐子内親王家紀伊(ゆうしないしんのうけのき)

「艶書合わせ」という宮中行事での1首

男性側が「あなたに恋しています」というような歌を詠み

女性側がなびくようななびかないような返歌をします。

「ラブレターごっこ」です。 歌の技巧や品位を競います。

男性側は中納言俊忠

人知れぬ思ひありその裏風に

      波のよるこそ いはまほしけれ

夜と寄る、ありそとありその浦(北陸の歌枕)を掛詞にしています。

「人知れずお慕いしています。 この想いを打ち明けたいものです」

といったところですね。

紀伊の返歌の意味は

「噂に聞く(高師浜の波のように)恋のてだれのあなたの言葉を

本気にして、うっかり心惹かれると、涙で袖をぬらすことにまるでしょう」

どちらの歌も掛詞、枕言葉を駆使した、非常に高い技術の歌です。

「艶書合わせ」の歌なので技巧優先で、

和泉式部の歌のように魂をしめつけられるような切なさはありません。

格調高い歌ですね。

作者は祐子内親王(ゆうしないしんのう)さんの家に女官として仕えている

紀伊(夫か父が紀伊の守)さんです。

本名は分かっていません。

高師浜というのは大阪の南部にある非常に美しい海岸です。

今は埋めたてられて工場&高速道路ですが。

芦屋、帝塚山、浜寺昭和町と並ぶ高級住宅街です。

素敵な邸宅が多いですよ。

次回は和泉式部です。